千葉製油所 竣工

1963(昭和38)年1月、京葉工業地帯の一角に、出光2番目の千葉製油所が完成しました。
しかし、当時東洋一の規模を誇ったこの製油所も、前年7月に施行された「石油業法」による生産調整に縛られ、能力の半分(5万バレル/日)の生産しか認められない状況が続きました。
この石油業法は、わが国の総合的なエネルギー政策として、石油の安定かつ低廉な供給の確保を目的に「需給調整」「設備許可」などが骨子となっています。統制色が強く、出光は「消費者の利益を損ない、石油産業の存立を危うくする」として、その制定を強硬に反対していました。
同法の施行後、政府の生産調整により、出光は生産が不足し、市場から割高な製品を調達しなければならず、これに抗議し、1963(昭和38)年11月、石油連盟を脱退しました。これは、生産調整が石連の自主調整という形で行われていたからです。

1966(昭和41)年末で石油の生産調整は表向き廃止されることになり、同年10月、出光は石連に復帰しましたが、その後も政府の行政指導は続き、結果的に石油産業の体質は弱体化してしまいました。
一方、千葉製油所は、1967(昭和42)年に第二期工事を行い、第二常圧蒸留装置を増設。今日、首都圏の大消費地帯を背景に、出光の基幹製油所となっています。

  • パイプラインの埋設作業
    パイプラインの埋設作業

  • 石連脱退の記者会見
    石連脱退の記者会見

ページトップへ遷移