消費地精製方式で苦境に

1950(昭和25)年、太平洋岸製油所の操業再開にあわせて、原油輸入を優先して製品輸入を大幅に制限する政策がとられ、製油所を持たない出光は苦境に立たされました。

しかし、朝鮮戦争勃発を機に重油と軽油の輸入に限り外貨が割り当てられることになり、出光は危機を脱することができました。

重油と軽油を積んでゴールデンゲートブリッジ下を航行する日章丸二世
重油と軽油を積んでゴールデンゲートブリッジ下を
航行する日章丸二世

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